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縦横無尽 199

今日の小6特進クラス算数では、「食塩水」の問題を扱いました。

中学生でも苦手な子の多い、濃度の問題です。
そもそも「濃度」なんて、いきなり言っても小6の皆を困らせるだけ。
「食塩水」も、最初から使うと「難しそう!」なイメージが募るかと、
「塩水」から始めました。
苦手意識を抱きやすい単元ですから、
できる限り抵抗なく滑り出したいものです。

まずは「どちらがしょっぱい?」と、
想像しやすいところから始めました。
しょっぱい→濃い→濃度、と、徐々に目当ての言葉に近付きます。

そして少しずつ階段を昇りながら、
濃度を求めたり、濃度を元に食塩の量を求めたり。
小6として、中学に向けた大事な準備を整えられました。

週に1度のクラスですが、子どもたちの未来の養分として
役立つことを願っています。
それも「難しいのを嫌々」ではなく、
ごく自然に馴染んでいけるよう、工夫を凝らしていきます!
 

復活コラム・熊の熱き想い 16

夏の準備や6月のテスト対策準備を進めている。
早めの準備=段取り、は大事だ。

つい先日、自分の声がけを振り返る出来事があった。
北中2年生のとある男の子の言葉だ。

入塾以来、ことある毎に僕は彼に言ってきた。
「解く・書くスピードを上げるのが課題だぞ!」と。

この子はいつも丁寧に解いて書き進めている。
とても素晴らしいことだ。
でも、時間をかけすぎる=致命傷、にもなりかねない。
だから、スピードを上げる大切さを言ってきた。

そんなある日。
国語の文章題の宿題についての話を彼とした時のことだ。





僕「よく出来ているな!立派だぞ!!」
彼「ひとつの文章をじっくりと読み込んでます。」
僕「どれくらいの時間をかけいるんだ?」
彼「だいたい1時間〜2時間くらいです。」
僕「時間をかけすぎじゃないのか?」
彼「内容が難しいのでしっかり理解して解きたいから・・・」

この国語の文章題の宿題は、高校入試の過去問だ。
1年前倒しで課している、全国入試問題の現代文。

彼は自分自身のために、じっくりと読み込んでいた。
どうすれば自分自身にプラスになるか、を考えてだ。
だからこそ、の毎回の見事な正答率。
・・・僕は自分を振り返った。

ことある毎にスピードについて彼に声がけをしてきた僕。
それはもちろん間違いではないのだが、
もっと個々を見つめないといかんな、と反省した。

やっぱり指示出しや指導は常に一律のものではない。
分かってはいたけど、それを彼に気付かされた。
ありがとう。

一人一人をしっかりと見つめたい。
時と場合によっての一人一人の変化をもっと見つめたい。

今日もガンバリマス。

熊(熊谷)

 

縦横無尽 198

ゴールデンウィークが終わったと思ったら、
すぐさま修学旅行・体育祭などの行事シーズンそして定期テスト。
子どもたちの日常は盛りだくさんです。

小中学生とは、
「1年が経つのはあっという間だよね……」なんて
しんみりした話には、まずなりません。

でも、これが高校生となると別。
「うわーまずいね、こないだ中学生だったのにね」
「もうゾッとしますよー!」
こんな話が通じるようになったら、大人の階段昇っちゃった証。

たとえば10歳の小学4年生にとっては、
「1年間」はそれまでの自分の全人生の10分の1=10%。
かたや18歳の高校3年生にとっては、
全人生の18分の1=約5.5%。

年を重ね、分母が大きくなればなるほどに
「1年間」の比重が小さくなり、
だから「あっと言う間!」に感じるのだ――という話を
聞いたことがあります。

また、年若ければ若いほどに体の成長度合いが目覚ましく、
姿も心もどんどん変わっていきます。
子どもたちにとっては、1年前の自分なんてかなり別人でしょう。

たとえば小4から通ってくれている、とある現小6の男の子の声が
先日急に低くなったのに気付き、「ついに来た!」と実感。
ダイナミックな成長を間近に見られて、本当に有り難く思います。

時間の流れと共に変化しながら、
そこで経験する数々の行事・もしくは試練を通じて、
子どもたちは絶え間なく心身を磨き上げきます。

万緑の初夏を謳歌する子どもたちを、勉強面で支える務めの私たちです。
来る6月、定期テストに向けて、
子どもたちに先んじて準備に入ります……!
 

縦横無尽 197

連休中、実家に帰った際、やたらに懐かしいものを発掘しました。
かつて自分が中学生だったころの、模擬試験の個人帳票……!
大事に保管しておいたというよりは、
当時しまったものがそのまま残っていたという感じ。

目を通すだけで、ぶわっ!!と甦ってくる、
受験生だった自分の、身につまされる思いがありました。

そうそう、受験生の冬、「最後の模試の1つ前」で
なかなか良い判定を出したんだっけ……
「最後の模試もちゃんと結果出して、弾みをつけなくちゃ!」
なんて力が入りすぎて、結果が最悪だったっけねえ……
コレのせいで受験校、最後の最後に迷う羽目になったっけねえ……

もう本当に遠い目です。
偏差値……合格可能性……数々の数字が痛い!

でも見つけてよかった。
おかげで、模試の威力を改めて痛感できました。


第1に、模試とは絶対に、何度も継続的に受けるべきものです。
そうしなければ価値・効果が激減するものです。

「ある程度力がついてから模試を受けた方がいいですか?」と
お尋ね頂くこともありますが、これは受験生にとって完全NG。
「力がついてから模試」ではなく、「模試を通じて力を養う」のです。

そしてその「力」は、単に学力・知識を指すのではありません。
試験中の時間配分。集中力。持久力。切り替えの速さ。
模試は総合力の鍛錬の場です。

また、単発で1、2回の模試を受けたところで、
自分の傾向は見えてきません。
単発だといくらでも逃げ口上を作れます。
たとえば結果が思わしくないとき、
「この日あまり体調が良くなかったから……」なんて。

その点、1ヶ月に1回ほどの頻度で受験をしていれば、
良くも悪くも自分の生の姿が浮き彫りになります。
「だってこの日は……」なんて言い訳も何もしようがない。
蓄積したデータを見れば明白です。

上限はこの辺り。下限はこの辺り。
上限を取れるのはこんなとき。下限に落ち込むのはこんなとき。
(ちなみに私が下限に落ち込むのは、
 前述の通り『気合いを入れて力みすぎたとき』でした)
それが解ればこそ、対策を打てるのです。

自分の、受験生としての道のりの記録から、指針を読み取る。
それは、模試を積み重ねた者の特権です。


第2に、模試は自分を客観的に見せてくれます。
少なくとも、そのための材料を提示してくれます。

「自分なりに頑張りました!」
ある程度の自尊感情は大切ですが、
受験生はそれにしがみつくわけにはいきません。

だって自分がどれだけ自分なりに頑張ろうと、
他人もまた頑張っているのです。
頑張っている者同士が競い合う舞台で、
「自分なりの努力」を主張することに、
何の意味があるでしょう。

目を背けたくなるような数字もあります。
ときには心弾むアルファベットもあります。
結果はどうあれ、それがそのときの「客観的な自分」です。

夢も願望も全部取り払われた、ひたすらな現実。
直視し、受けとめ、次の一手を考え、実行する。

それはきっと、公式を使いこなしたり英作文を書いたりするよりも
よほど難しいことです。
しかしその力は、公式よりも英作文よりも、
間違いなく一生ものの財産です。


第3に、模試の効力を決定づけるのは、自分自身です。
いくら受験したって、自分にそれを活かすつもりがなければ、
何も活きません。

模試に向けて準備することもなく、
模試の最中にも何ら工夫せず、
間違えた分野を復習することもない。
これはただ「受けた」事実が残るだけの試験です。

受ける前、受けているその瞬間、受けた後。
自分の力を爆発させる方法を模索し続ける模試であれば、
それはどれほど自分を成長させてくれることか。

模試の価値は自分で作る。
だからこそ、私たち講師は、
受験生にその価値や意味を伝えねばなりません。
価値の生み出し方を、意味の読み取り方を、
責任を持って、伝えねばなりません。


今年も模擬試験の案内が始まりました。

模試はただの問題の集合ではなく
そして帳票はただの無味乾燥な数字、文字列ではなく、
子どもたち自身の養分となるべきものです。
全力で、そう育て上げるべきものです。

痛いほどの数字。
それを武器に変えられるのは、志ある挑戦者です。
 

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復活コラム・熊の熱き想い 15

両親のこと。

以前もブログで書いたが・・・
父は一昨年に癌で他界した。
母は認知症で現在特養ホームで生活している。

40代となっている今の僕だが、
時折両親のことを想い出す。

塾生と日々対峙するにあたって、
おこがましくも「僕が親ならばこうしたい」
という想いは核になっている。

褒める時も、叱る時も、どんな子にも、
そう想って接している。





実家は遠く離れている。
だから、お墓参りも、ホームに会いに行くことも、
なかなか出来ないでいる。

両親に申し訳無く想う気持ちがある反面、
塾生への想いをきちんと持つこと=親孝行、だ。
と自分に言い聞かせているところもある。

まだ自立していない塾生も、
やがて親になり、やがて親を失う。
だからこそ、核の想いを大切にして塾生を見つめたい。

父の仏壇を見ていて、ふと書いてみたコラム。

さて・・・
まずは今日の中3授業、全力でいく!

熊(熊谷)
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